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証 ピーター チュ

 

私の名前はピーター チュウです。広東語では朱達基といいます。

 

私は日本に来る前は香港で空手を教えていました。どうして空手の先生になったかというと、じつは35年前、香港のある芸を競うテレビ番組を見に行ったことがあったんですが、そのとき、空手の先生のパフォーマンスがあり、彼が誰か挑戦してみたい人、と観衆に呼びかけたとき、わたしは手を上げました。そこで、何人かの人が競い合って、わたしはヌンチャクで一番になりました。驚いたことに、その賞品が一年間、無料で日本で空手を習えることでした。

 

そのことがきっかけで、いまでは、空手の黒帯7段の教士です。香港では4つの道場をもっていましたが、そのうちのひとつは、警察署の中にあって、警察官とその家族を対象に教えていました。日本に空手留学していたときは、まだクリスチャンではありませんでした。だから、このことも、ただ非常にラッキーだと思っただけでした。でも、今、クリスチャンになってふりかえってみると、それはすでに、神様が40年前に用意してくださっていたご計画だと、わかりました。

 

わたしの家族はだれもクリスチャンではなかったのですが、小学校、中学校ともキリスト教の学校だったので、イエス様のことは早くから知っていましたが、イエス様は私にとってとても遠い存在でずっと信じませんでした。それから年月がたち結婚してから、妻がクリスチャンだったので、日曜日に教会に行こうと誘われるようになりました。でも、行く気がなくて、いつも断っていました。とうとう断る口実のために、わざわざ日曜日の朝にモダンダンスのクラスをとってそこへ出かけることまでしていました。

 

では、いつ主を信じたかというと。。。

 

私たち夫婦には子供がなかったので、一匹の小さい犬を飼い、まるで息子のように育てていました。ところが、その犬が14歳になったとき、病気になってしまいました。犬の14歳というのは、人間にしてみると、70-80歳ぐらいに相当するんですが、獣医にみせると、その医者は、心臓病でもう助からないからうちへ連れて帰って、後のことの準備をしなさい、と言いました。そのとき、私は医者の手をとって、どうか息子を助けてくださいと泣きすがりました。でも、医者は何も言ってはくれず、帰れという手振りをして見せただけでした。そのとき、妻が私に祈るように言いました。それが、私にとって初めての祈りでした。私は神様に言いました。「もし、あなたが本当に生きているまことの神様なら、どうか、息子の命を救ってください。そうしてくださるなら、わたしは一生あなたに仕えます。」

 

そうしたら、不思議なことに、次の日むすこは起き上がり歩き始めました。そして一週間後に完全によくなりました。このようなことを経験した後、どうして教会に行かずにいられるでしょうか?そして、教会に行き始めて二年後、洗礼を受け、クリスチャンとなりました。

 

私はイエス様を信じる前はどんな神様も拝んでいました。けれども、私たちの神は偶像の神とは違います。私たちの神は天の父であり、父の愛に条件はありません。天の父は私たちがいい人間であっても、悪い人間であっても、同じように雨を降らせてくださいます。すべてのものを無条件で与えてくださっていて、神の独り子イエスキリストさえも、この世に送り、十字架につけられました。それは私たちの罪を贖うためでした。ですから、天の父なる神様は他の偶像の神様とは違います。もし、私たちが偶像の神に向かって、いいことでも、よくないことでも願うなら、それは内容に関係なく何でも与えます。そして、願いをかなえるのと引き換えに、私たちの魂を奪い、死の苦しみ(神から永遠に引き離される)という苦しみを与えます。

 

私が、まだ主を信じていなかったとき、兄弟姉妹たちに、「あなたには罪があるから、イエス様を信じなさい」といわれましたが、自分では、どこに罪があるのかわかりませんでした。タバコも吸わないし、酒も飲まないし、放火に、殺人など、法律を犯すようなことは何もしていないのに、と思っていました。

 

けれども、教会に通うようになって、もっと主を深く知り始めたとき、自分は一体どこから来たんだろう、と自問しました。コンピューター一つにしても、誰かが作ったものです。ましてや、人間は、これを造られた創造主が必ずいると悟りました。そして、創造主なる主を信じないこと自体が罪であることに気が付きました。人がご飯をおごってくれたら、ありがとう、といいますね。

 

ましてや、私たちは、イエス様が天のみ国を捨て、この世に来て、私たちの罪を贖うために十字架にまでかかってくださったのに、これだけ多くの恵みを受けても、ありがとうとさえ言わず、それどころか、「神様なんかどこにいる」というなら、どれだけ、傲慢なんでしょうか。自分で何でもコントロールできると思っているなら、それは、自分が神になっているということです。でも、実際私たちは何一つコントロールできません。一秒後に何が起こるかさえわからない存在ですから。ピリピ2:6-8

 

キリストは神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。主を信じないことが罪だとわかったのですが、わたしたちは、うそをついたり、むさぼりの心や傲慢さもあります。これでも、罪はないといえるのでしょうか?

 

イエス様はもともと神様ですから、むりやり「私を信じなさい」とおっしゃってもよかったのに、そうはされず、へりくだって人の姿になり、十字架の死にまで従順してくださったのです。エス様には罪はなかったのに、私たちのために死んで、その血潮で洗い清めてくださいました。

私はこのイエス様が、死なれたけれども復活して、今いきておられることを体験しました。それは、妻と結婚して20年が経った、2008年の3月1日の朝、ベッドから起きようとした妻の体が突然動かなくなりました。すぐに救急車を呼んで、病院に運び医者に診てもらいました。検査が終わり、先生に呼ばれて、妻が癌の第四期だと宣告されました。それはどういう意味か尋ねると、末期だという答えでした。10年生きられますかときいたら、「いや、長くて5年でしょう」といわれたのですが、実は5ヵ月後に亡くなってしまいました。この闘病期間は本当に辛いものでした。彼女は骨の癌だったのですが、みなさん知っている方もいると思いますが、非常に大きな痛みを伴います。彼女は毎晩夜中の12時半から朝の5時まで、痛みのために苦しみ、モルヒネを続けて打たなければならないほどでした。そのとき、毎晩聖書の詩篇をCDで流して聞いていました。彼女はとても痛がっていたのですが、主のご臨在を感じ平安がありました。もし、主のご臨在がなければ、あの時期を乗り越えるのは不可能だったと思います。妻は5ヶ月で逝ってしまいましたが、神の恵みと憐れみだったと思います。あの苦しみが10年ではなく、5年でもなく5ヶ月で済んだのですから。2008年8月20日に妻は天に召されました。

 

でも私たちはクリスチャンですから、永遠に対する希望があります。将来天国で会えることを知っています。これは、神様が聖書の中で約束してくださっていることです。この経験をとおして、神様が毎晩共にいてくださったことがよくわかりました。自分の力では絶対にすごすことができなかったと思うからです。

 

イエス様を信じてすぐの頃、キリスト少年軍というものに入って副隊長として、子供たちに仕えはじめました。キリスト少年軍というのは、ボーイスカウトのようなものですが、キリストの精神に従って教育しています。子供たちに教える前にはまず、自分自身が準備をしなければならず、教えながら子供たちと共に成長できたので、クリスチャンとして成長できた大きな助けとなりました。

 

今までで、一番支えとなった御言葉は、イザヤ9:6

ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。1ペテロ5:6-7

 

だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くしてくださるであろう。神はあなたがたをかえりみていてくださるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。ヨハネ1:1-4

 

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

 

最後にどのように、日本へ導かれたかをお話します。私と妻は二人とも日本宣教の重荷がありましたが、妻が亡くなった後、非常に強い聖霊さまの促しがありました。毎日、朝、昼、晩とご飯を食べるとき、日本人の魂を思う気持ちで胸がいっぱいになりいつも涙が出ました。でも、その一方で、妻を失って間もないころだったので、その悲しみを覆い隠すための口実にしているのではないかという恐れもありました。

 

でも、その後、いろいろなしるしが与えられたので、教会のほうに、宣教師になりたいと申請書を出しました。それから、ずいぶんと何の音沙汰もなく時間が過ぎていき、とうとうある日、神様に向かって祈りました。「あなたはわたしを本当に日本へ遣わしてくださるんですか?」

その祈りの直後にある事件がおきました。香港では大きなニュースになったんですが、ビルが一棟まるごと崩壊し死傷者をだした事件がありました。そのとき、私はそのビルの前をとおりすぎて、隣のCDショップにはいったところだったんですが、まるで地震かと思いました。わずか数歩の差で瓦礫の下敷きになっているところでした。

 

私を宣教に遣わすために命を助けて下さったのかと思いましたが、私たちの神様は条件付で助けるようなお方ではありません。ただ、私を無条件に愛してくださっている神様の愛にこたえたくて、どうしても宣教の働きをしたいと願いました。自分の身に起きたこの出来事を教会に話してから、宣教の話が前進しました。

 

私に与えられている日本での重荷は、一つは空手を通して、青少年たち

が教会に集うようになること、もう一つは、日本にも、キリスト少年軍を立ち上げ、子供たち、若者たちが教会に来るようになることです。

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